伊勢への旅
2018年 04月 02日
夫の仕事がお休みの一日を二人で伊勢神宮にまいりました。
一緒に出して下さるほうじ茶もすばらしい。
お店の入り口。
朝のおひさまがさす赤福本店です。
きらきらひかる川面をながめながら赤福をいただいていますと
なんとさぎが私のいるそばの木にとまってくれました。
赤福本店を川のほうからみたらこんなです。いいねえ。
おおきな杉の木。
本殿(というのでしょうか)は、わたしたちからは見えないように、布や塀で囲まれてありました。
金色に輝いている。
梅干しと塩昆布。お箸も二膳。
私の人生の目標のひとつであった
「赤福本店で赤福を食べる」を実現するためです。
27歳のとき、私は友人と友人の上司とすみだ川の花火をみにいき、帰りに錦糸町のスナックへ行きました。そこではじめて赤福というとても美味しいお餅をいただいたのです。
他の常連のお客様がおみやげに赤福の大箱を買っていらして(今考えればあれは多分20こ入り)それをカウンターの中の女の子(美保純似)が「美味しいよ」って私にも分けてくださったのでした。
うまい!このお餅はいったい!?
それが私がはじめて赤福体験でした。
そのときから私は赤福をデパートの物産展で購入したり、夫がおみやげで買ってきてくれたり、名古屋からいらっしゃるかたがおみやげに下さる赤福をいただくたび、
いつか伊勢に行って赤福を本店で食べるんだ!と大志をいだいていたのです。
夢がかなった瞬間!
夢はひとりぶん200円。
奥にみえる銅の大きな茶釜でお茶のためのお湯をしゅんしゅんとわかしています。
幸せに輝く私の笑顔を撮影する夫。
私から2メートルもないんです。
私がほんとに赤福の本店にいるなんて。
そして伊勢神宮へもおまいり。
戻るときにほんのすこしだけお宮のてっぺんが見えました。
なんてエルメシー!
<エルメシー> Forestが作った言葉。遠くにあってなかなか目にすることができないもののこと。
エルメスのお店の入り口から、中をのぞいてものすごくきれいな金色やオレンジ色に輝くものがたくさんあるようなのが見えるが、そして心から見てみたいなあ!と思うが、まるで結界が張ってあるように中に入れない状態。またはそのような心情。
伊勢神宮は、とても他の神社と違っていました。
畏れずに申し上げれば、庶民はおよびじゃない、というかんじでした。
おみくじだってありません。
お昼ご飯のてこね寿司。
おなかが一杯だったけれど、私はこのあともうがんばって赤福でぜんざいをいただきました。
赤福では、夏は赤福ののったかき氷、冬はぜんざいがいただけるのです。
もう、きっと伊勢に来ることもないかもしれないから、おなかいっぱいでも食べておきたかったのです。
あとで「ああ、あのときぜんざい食べておけばよかった」って思うのはいやだったからです。
何もたのまなかった夫のぶんもお茶をいれてくださいました。
伊勢で後光がさしていたのは赤福だけな気がした、なんて、ばちあたりな。
けれどもそんな気が。
今もときどき、赤福で「お茶のおかわりはいかがですか」と土瓶を持ってあるいていらしたほっぺの赤い女の子のことを思い出します。
昔から伊勢参りにがんばって、やっといらした方々は、赤福で美味しいお茶とすばらしい赤福もちを召し上がって、幸福になったにちがいないです。
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by forest_garden
| 2018-04-02 22:53